信州と越後を結ぶ街道筋の宿場

戸狩温泉のある飯山市は、信州と越後を結ぶ交通の要所として栄えました。戦国時代には越後の上杉謙信が、甲斐の武田信玄に対抗するため、飯山城を大規模に改修して信濃の前線基地としました。江戸時代には、この地に飯山藩が置かれて城下町として整備されましたが、戊辰戦争の混乱の際に城下の多くが焼失しました。

飯山城下から越後十日町へと続く街道は、千曲川を挟んで東西に分かれ、西側の街道沿いに戸狩郷がありました。この地域は明治になって町村合併を繰り返し、「戸狩村→照里村→常盤村」と変遷し、1954年に飯山市へ編入。その後、飯山鉄道「戸狩駅」が1923年に開業したことで、駅名として戸狩の地名が残りました。(現在のJR飯山線「戸狩野沢温泉駅」)

戸狩温泉スキー場
©戸狩温泉スキー場

スキー場開発と民宿経営

戸狩地区は北信州の豪雪地帯に位置するため、農閑期の冬季には出稼ぎを余儀なくされていました。その苛酷な状況を打開すべく、スキー場の開発に着手。出稼ぎの歴史に幕を閉じることになります。

1956年に駅の北側にスキー場(現在の戸狩温泉スキー場)が開業し、高度経済成長とスキー人気に支えられて、多くのスキー客がこの地を訪れるようになりました。

スキー観光の発展にともない、スキー客を受け入れる宿泊施設が必要となったことで、多くの農家が民宿経営に乗り出します。スキーブーム(1970年代後半〜1990年代前半)の最盛期には、150軒もの民宿が地域経済の発展を支えました。

戸狩温泉
©信州いいやま観光局

温泉開発と新たな取り組み

1991年には温泉(暁の湯・望の湯)が掘削され、各民宿へ温泉が供給されるようになり、それ以降「戸狩温泉」の名称が広く使われるようになります。

ますます発展するかにみえた戸狩地区でしたが、スキーブームの終焉によりスキー客が減少。将来を見据えて新たな取り組みが行われました。その一つが1990年代から誘致を始めたセカンドスクールです。

セカンドスクールとは、都会の小中学生が、豊かな自然や農作業、民宿での共同生活などを通じて学習する長期宿泊型の体験学習です。武蔵野市教育委員会(東京都)が、このセカンドスクールの取り組みで「2015年度グッドデザイン賞」を受賞しました。武蔵野市の多くの子供達が、毎年戸狩で様々な田舎暮らし体験をしています。

また、1990年代から誘致を始めた大学生の夏合宿は、全国でも先駆的な取り組みとして広く浸透し、今では多くの学生たちが戸狩で合宿を行っています。

北信州・戸狩の自然

北陸新幹線で北信州の自然がより身近に

戸狩の魅力は、沢山あります。四季がとてもはっきりしていて、季節ごとに鮮やかに変わる景観や色彩はとくにおすすめです。

春は「菜の花畑」が有名で、一面を黄色に染め上げます。黄色の絨毯の先には、新緑の山々、白い残雪をわずかに残す山の頂、青く澄んだ空が広がり、見事なコントラストを描きます。

夏は紫陽花や蛍。秋のダイナミックな紅葉。日本の原風景を思わせるブナの原生林など、童謡「ふるさと」で歌われた北信州の里山ならではの見所が満載!毎年多くの自然愛好家やカメラマン達がこの地を訪れます。豊かな自然を生かして、戸狩トレイル・サイクリング・カヌーなどアウトドアスポーツもおすすめです。そして冬は、豪雪地帯と言われる地域ならではのウインタースポーツ、「かまくらの里」や雪まつりなど、戸狩周辺での冬のイベントも盛り沢山です!

2015年の北陸新幹線開業により、東京駅〜飯山駅〜戸狩野沢温泉駅まで最短2時間40分。より都心から近くなった北信州戸狩の里は、自然に囲まれてのんびりできる憩いの場所です。

Goriさん
WEBデザイナー・コーダー